咖啡场景
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投稿者
小坂章子
since
2015-11-25
  • 珈琲がそこにあるだけで、
  • いつもの日常が豊かにふくらみ始めていく。
  • そんな珈琲まわりの徒然話を日本よりお届けします。
  • そこにしかない味

      情報伝達と流通の発達により、自宅でフンフンと鼻唄でも口ずさみながら、ワンクリックでものが買える時代になった。欲しいと思ったその瞬間、金銭を払う契約さえ交わせば、即お買い上げ。ワインや日本酒、野菜や珍味、民芸品やア?トだって。あ、そして珈琲も。その土地に足を運ばなくても入手できるのは大変便利だけれども、現地を訪ね、分けてもらう喜びに勝るものはない。
     先日、大分県は日田に出かけた。九州一の規模を誇る筑後川の本流、三隈川を背骨にいくつかの支流を抱える水郷は、江戸幕府の直轄地として華やかな町人文化を築いた歴史をもつ。川の流れは、山から切り出した丸太を筏にして運んだ輸送路としての役割を果たすと共に、鵜飼いや屋形船などの舟遊びも育んだ。もしも日田に川がなかったら、まったく違う文化が形成されただろう。
     職人の手仕事の取材を始めた頃、ベテラン編集者の方が折り目がすり切れるまで使い込んだ愛用の地図を見せてくださった。まずその土地の全容を把握する。次に歴史を丹念に追う。そうすれば自ずと見えてくるものがあるとの言葉に、地図や年表の類を避けてきた私は、恥じ入りながらうなずいたのだった。
     さて気候や風土からひも解くのは、珈琲も同じ。エチオピアのAで採れた品種の豆を、山ひとつ越えたBの土壌に植えたとして、果たして同じものが収穫できるかといえばそんな単純なものではない。その土地の特性に応じて豆の性質も変わるし、水源の有無や気候、斜面の向きなどによって精製方法も限定される。世界のあらゆる豆が流通する今だからこそ、こうした必然性が大きな意味をもつのである。
     しかしながら、情報の共有化によって、珈琲の味わいはあるひとつの傾向に偏りやすくなったともいえる。珈琲はそもそも果実なのだという認識が浸透するにつれ、フルーティーで香り重視の浅いりに火がついた。豆の中心まで火が通ったクリアな浅いりの一杯は、そりゃあ確かに飲みやすいし、細胞への吸収率もいいように感じる。ただ深いりが好みの自分としては、物足りないのも確か。何かしらの引っかかりが欲しい。うまく言えないけれど、多少の癖のようなもの。焙煎する人の静かなる主張ともいえるだろうか。
     豆のフレッシュな果実味を生かす、それもひとつの洗練されたスタイル。だけど、どの国のどの地域のどの店で飲んでも似たような味になってしまうのは、面白くない。だから十人十色。珈琲屋さんには理想とする好きな味のイメージをふくらませた上で、一杯のカップから逆算して焙煎や挽き、抽出までを組み立てる、そんな自分流の味づくりを行なって欲しい。そうすれば、どこにもない、そこにしかない味を世界じゅうで楽しむことができるだろう。
     文章を書く時、背伸びして、日頃からいいなと思っている言葉を使ってみることがある。が、時期尚早。自分になじむまで無意識のところでねかせておけば、ある時、ふいに垣根がとれてお許しが出る。文章でも珈琲でも木工でも洋服でも、ものを作る上で大切なのは、より多くの情報でも、世の流れでも、他者の意見でもない。自身の土壌を見つめ、深いところまで根を下ろす勇気と、小さな体験を飽きもせず重ね続ける、その歳月なのではないだろうか。口では何とでも言えますが。さあ、珈琲をいれて、もうひと仕事。それではまた来月。


    そこにしかない味