KANさん
  • なぜ人は苦いコーヒーを飲むのだろうか?

     ある日、ある有名な喫茶店をやっていた方が私の目を見てこう言った。
    「なぜ人は苦いコーヒーを飲むのだろうか?」
    あまりに突然な問いかけだったので私は返答に困ってしまった。
    ちょっと考えて、「本能なのでは?」と自分自身の中では全然自信のない答えを 返してしまっていた。
    そこに居合わせた他の人もそれぞれ意見を述べていたが、どれも的を得たような答えは出てこなかったのだった。
    その場はそれで終わってしまったのだが、どうもその問いかけが気になって頭から離れない自分がいる。
    サラリと問いかけられたのだが、考えれば考えるほど深みにはまっていく。
    まるで禅問答のようだ。
    答えが出ないまま2ヶ月ほど過ぎていったそんなある日、寝ようとして深夜のテレビ番組をボーッと見ていたら、突然ふと悟りが開けた。 いや違う、答えが出たのだ!

    人は“刺激”を欲している。
    この“刺激”は本能と密接に結びつき、これを得ることにより生きているのだ!

     人は生きている限り“五感”といって目、耳、鼻、口、手など外部の情報を得る為には欠かせない感覚機能から様々な“刺激”を受け続けているのである。
    たとえば美しい風景に心ひかれ、美しい音楽に耳を傾け、香しい香りに酔い、美味しい料理に舌鼓を打ち、肌触りのよい赤ん坊の肌をやさしく手で撫でる。
    これらは心地よい刺激であり、それを受けることによって人は心が満たされる。
    また本能が危険だと判断する刺激もある。
    これらの“刺激”を受け続けていかねば退屈で生きていく上で満足が出来ない生き物が人間なのだ。

     口に入るものは苦み、酸味、甘み、辛み、渋み、旨みといった刺激を舌が感じ取る。
    しかし未知の強い刺激に対して一般的に人は拒否反応を示す。
    その強い刺激が健康をおびやかす危険なものではないと判断すると好奇心が出てくる。
    そして好奇心をくすぐった未知の強い刺激を取り入れようとする働きがあり体に記憶される。
    その記憶された強い刺激を習慣的に欲する一面があるのではないか?
    酒や煙草などをはじめ、「嗜好品」の世界はそういった人間の持った性質から成り立っているに違いない。

     コーヒーの苦みに話を戻そう。
    苦みと言っても様々あり複雑である。
    炭のように焦がしてしまったコーヒーはその強烈で嫌な苦みがいつまでたっても消えないものがある。
    これは論外であり、まともな味覚を持った人は拒否する。
    しかしうまく焙煎したものは真っ黒に焙煎した豆でも苦みの中に柔らかさがあり、甘みが出てくるのだ。
    その苦みの中にある甘みやわずかな酸味。
    それにともなって嗅覚を刺激するコーヒーのあの甘苦い独特の強烈な香り。
    これらの複雑かつ強烈な刺激を個人差はあるが、“心地よい刺激”として受け容れてしまうのであろう。
    受け容れられた人はまた一杯、もう一杯とコーヒーを飲むのだ。

    今年も“刺激”を求めて、湯気が立つ熱い赤黒い液体を飲みながら、このようなまわりくどい、まとまりに欠ける、かったるい文章を書いている私がいる。

    皆さま本年もどうぞよろしくお願いいたします。
    福島達男